外道人生(歌舞伎町編) <全76p>

外道人生『歌舞伎町編』

 

以前から撮り続けている新宿の最新シリーズで、日本で最初かつ最も私の気を引いた街『歌舞伎町』の最近を、気になる人物達を軸に撮影した作品である。

最近だいぶこの街は変わったが、誰かの『居場所』である事は今でも変わらず、あたたかい、寂しさを漂わせている。

この街の、そういうところが当初の魅力が半減した今でも、変わらず私の足を向かわせるのである。

 

CONGO   〈全60p〉

マレーシア 〈全55p〉

やん太郎 (全65p)

なんか変 (全55P)

東北、、、(全90p)

今まで私は撮影に行くとしつこい位とことん入りこんで撮っていた。

しかし、東北では初めて遠慮した。じっとして居られなくて来たものの避難所にも行けなかったし遺体にはレンズを向けられなかった。いきなり来た縁もゆかりも無い自分に、そんな資格があるのかが分からなかったからだ。

センチメンタルになった私は、多くの人々が死んだ場所に車を止めて一晩寝ることしか出来なかった。

49日はまだだから、きっとみんないるんだろうなんて思ったからだ。

2011年3月11日に、あの地震や津波がなければ、いつか東北に訪問した私が出会ったかもしれないであろう人々が。

こんな事を考えながら被災地を歩きまわった。

 

今昔物語(50p)

今昔物語

 

今はむかし…

その言葉がぴったりの夢をみた。

 

「今」を思うと「昔」がよく

「昔」を思うと「今」がいい。

 

「今」の姿を知らない「昔」の仲間に会いたくなった。

「今」の姿しか知らない人達の「昔」を知りたくなった。

 

人の歴史が一つの形となって、流れ行く時間の中に何かの種のように点在する。

そう考えると、その人を知りたくなったとき、写真はとても有効なものだと

改めて、思った。

 

 

東京迷子 (全114p)

 新宿歌舞伎町

新宿駅東口から歌舞伎町の方に吸い込まれるように

歩いて行くと、もう胸がドキドキしてくる。

人間の欲望が見え隠れする街が歌舞伎町である。

その景色が好きで好きでたまらない。

キラキラ光っているネオンの下に、

ダンボールを敷いてあおむけに寝ると、これがまた、

気持ちいい。なんだか社会という歯車から外れたようで違った角度から自分のこととか色々なことを考えられる。

悩んだ時はダンボールが最高だ。

新宿・歌舞伎町を撮り始めて三年目のある夜。新宿コマ劇場の前で、

ダンボールの上に寝ている幼い子供を発見した。当時、一見派手な事柄を好み、追いかけ撮影した私は、この光景にこの町の真相を見たような気がした。

そして目が離せなくなった。

それから注意して町を見てみると人々が寝静まった時間、

眠らない町には眠れない子供達がいた。

「ホームレス」の子供、夜の仕事をする母親を待つ子供、そして親の出稼ぎについて来たが、落ち着いてとどまれる場所が無いために、仕方なしに街中を「居場所」にする子供達がいた。

彼、彼女らは大人とともに現れ、大人とともに消えていた。様々な問題もあるが私はこんな街が大好きだ。

しかし、2・3年前からこの街も変わり始めた。普通の街に・・・。

人間模様 (全62p)

 

人間模様

きっと、この人にとって、写真はなんの意味も持たないんじゃないか?

そう思う人に出会うと、無性に撮りたくなる。

まるで、「タイマン」を挑むように、何か落とし所を探して張り合うのだろうか。自分でもよくわからないが…

で…?

その「タイマン」の結果それが、何かになったのと聞かれるととても困るのだが。。。

 

前田さんには、「俺的芸術」の手伝いとして。

しょうたには、お父さんへのプレゼントとして。

ボビーには、学校アルバムの代りとして。

正直には、友としての戒めの念として。

ゴンタにはちょっと大げさだけど生きている証として。

みんなの、なんかにはなったにちがいない。

と勝手に思っている。

自己満足。

ただ一人

優子さんには… なにかになったのか、

まだちょっとわからない。。。

またいつか笑顔で再開できる日を願って。

その日までの僕の記憶の手助けとして…     

青春吉日 (全117p)

  「青春吉日」

 

昔の仲間が一人が死んだ。

自殺だった。

奴が死んでも何ひとつ変わったことはない。

仲間達はもう奴のことを忘れていく。

そして俺も奴のことを忘れていく。

奴の顔が見たくて写真を探してみた。

一枚もなかった。

自分が大事だと思っている仲間だったのに。

いずれは、自分もこの世から消える。

そう思うと、撮りたくなった。

 

そしてやっと気づいた。

 

僕らは最悪だ。

しかし、最高だ。

いくつになってもカッコつけて、会えば昔の武勇伝。

何をやっているんだか。

だが、彼らと過ごした日々は、

さらには、自分のくだらない日々さえも、

人生の吉日だ。

その事を奴は「身をもって」教えてくれた。

もっと早く気づけば良かった。

今更言っても仕方が無いから、

今をもって

青春第2幕をはじめよう。

より良き人生を。


破片

破片

転がる石にコケは生えないと言うが、

転がりすぎて石じゃなくなる。

 

ロックもPOPS

合わなかったらしい。

 

一周回って歌謡曲。

 

一周まわって新しい。

 

荷物  (全158p)

荷物

彼らが大切そうに抱えている「荷物」には、

きっと人生が詰まっているんだろうと思った。

でも、実際に覗いてみたら、

「そうでもなかった。」

と私は感じた。

きっと「荷物」それ自体がとても大切な存在なのだろう。

唯一の所有物として。

人生を旅する相棒として。

時には枕として。

だるまさんが転んだ (全60p)

だるまさんが転んだ

この町に初めて来たとき、いろんな国の言葉が聴こえ、「ここは日本ではない。」と感じた。

私が煙草の吸殻を灰皿に捨てたら「変な奴だ。」

と言われた。彼らは吸殻を投げ捨てる。

言葉も乱暴である。しかし「分け合う。」ことを知っている。生活は貧しくても心は豊かであるように思えた。

 ある日、撮影に出かけた日のことである。

コインランドリーの入り口で雨宿りをしていた一人の中年男性がいた。その男性は血だらけであった。

 私が「どうしたの?」と聞いたら、その男性は私の目を見て、「だるまさんが転んだ・・・。」とだけ繰り返し答えた。温かい缶のお茶を差し出したら、「ありがとう。」と言って、じっと握っていた。でも私がいるときには、飲まなかった。

 日本には『だるまさんが転んだ』という遊びがある。大人になっても「自分のことをだるまさんだと思っている。」人もいるのかもしれない。この中年男性は子どもの遊びのようなに負けたらだるまさんになる人生を繰り返してきたのだろうか。転んでも起き上がる逞しさで歩んできたように思える。

 ここには訳あって日本に出稼ぎに来ている人も少なくない。世界のだるまさんたちがここに寄り集まっているように感じられた。

 

  だるまさんたちに祝福あれ。

 

日陰の花 (全75p)

 日陰の花

出稼ぎに来ているフィリピンの人達と知り合った。

写真展などを見たりして、フィリピンに対しての漠然としたイメージはあったのだが彼らが自分の狭い常識の範疇を超えた事を話すので彼らは自国ではどういう生活をしていたのか気になり、自分の目で確認したくて行ってみることにした。

 空港に着いて第一印象はやはりお世辞にも「よい」とは言えないものだった。

数日間過ごすうちにメディアなどで一般的に言われているこの国の抱える問題が意外にもあっさりと見えてきた。

貧しさ故に子供をうる親。日本人と見れば寄ってくる年端もいかない女の子。仕事がなくてぶらぶらしている男性達。ゴミの山の子供達。そして、あまりにも多くの子供達…しかし、この子供達の瞳は輝いていた。この沢山の瞳の輝きが、この国の未来を作っていくと思うと少し希望   が持てる気がした。一人でも多くの子供達が、

この瞳の輝きを保ち大人になってくれる事を願う。

金城園202 (全60p)

金城園202号

最近あんまり写真撮ってない。やばいやばい。。。

写真からどんどん離れていく。

現実はそんなに甘くなかった。

胸が詰まって苦しい。。。ちくしょう!

そういう時は空を見る。

空を見ると飛びたくなる。

鳥になって自由にどこまでも飛んでいきたい。

やばいやばい。。。撃ち落とされる。

最近若者が何かに夢中になっているのを見ると感動する。

もう歳かな。

精神年齢は二十二歳なのに。。。ちくしょう!!

時の流れが速すぎる。

夜、雨が降ると僕は金持ちになる。

ビールを飲みながら部屋の窓から外を眺めると

ダイヤモンドより奇麗な宝石がいっぱい落ちてくる。。

でも誰も拾わない。

隣部屋の「ボンクラ」に宝石拾いに行こうと言ったら

鼻で笑われた。。。 あの「ボンクラ」に… ちくしょう!

隣部屋から聞こえてくるトイレの流れる音。

向かい部屋の今にも死にそうな咳の音。

窓側からの猫の鳴き声。

そして俺の心臓の音。

やばいやばい。。。

早く飛ばないと。。。

桜Ⅰ (全87p)

桜Ⅰ

花見。春になると、時々花見に行っていた。ただ、覚えたいたのはビールのうまさだけ。しかし、彼女に出会った年に二人で見た桜はとても美しく見えた。

                  梁 丞佑

散ってなお美しい桜の花が私は好きだ。しかし、美しいとは言えないであろう物事にも、人は力をもらう事が出来る。ということを、私は、やっと、分かった。  

                                                            真央

桜Ⅱ (全87p)

桜Ⅱ

僕の彼女はよく泣く。。。

きっと彼女の目にはカワイイ魚達が住んでいる。

だから彼女はよく泣く。。。

泣いてあげないと魚達がひからびて死んでしまうから。。。。。

君はあっちがわ僕はこっちがわⅠ (全46p)

君はあっちがわ僕はこっちがわⅠ

新宿・歌舞伎町で知り合ったごん太というホームレスの生活を撮影した写真だ。ごん太とは、歌舞伎町での撮影を通して出会った。

彼と会ってから四年程経った2003年の夏ごろから、

彼自身が拾った紙切れや広告の裏などに書いた詩のような文章を私に渡してくれるようになった。

それを見た時、自分の写真とこの文章をひとつの作品としてまとめてみたいと考えた。彼の詩からは、普通の人の視点では決して見ることの出来ない世界が感じられた。

自分も長年、社会から見捨てられた人々の存在をみんなに知ってもらいたくて様々なテーマの撮影を続けているが、結局のところ、彼らのことを真に理解したくても、そこには越えられない一線があるのだということを、その詩が痛感させてくれた。

君はあっちがわ僕はこっちがわⅡ (全42p)

君はあっちがわ僕はこっちがわⅡ

君はあっちがわ僕はこっちがわⅢ (全71p)

君はあっちがわ僕はこっちがわⅢ

ごん太のいう「あっちがわ」、私は「あっちがわ」の人間である。

帰るところがあるか、ないか、ただそれだけで「あっちがわ」と「こっちがわ」。

ただそれだけとはいうものの、この差はでかい。

ダンボールを持って一緒に暮らしてみたけれど、あたりまえだが、やはり対岸にはいけなかった。

私にとって彼は友人だ。

「あっちがわ」と「こっちがわ」のままではなんとなくさみしい。

ごん太が私にくれる詩や出来事、それをとらえて作品にすることで「あっちがわ」と「こっちがわ」に橋を架けてみようと思った。

橋の向こうに留まることはできないし、渡れるか渡れないかさえも、わからないのだが……。

でも、この作品を見てくれた人が心に新しい何かを感じてくれたら、いつも見過ごしがちなことに目を留めてくれたら私は、たまにごん太のいう「こっちがわ」に遊びに行けるようになる。

ダンボールを敷いて寝て気づいたこと。

とにかく気持ちいい。解き放された感じ。自由……。

やみつきになって、ごん太のいう「こっちがわ」の人間になりかけた私。

一度ダンボールで、寝てみませんか?